アーティスト一覧
安本亀八(初代、二代、三代)
Kamehati Yasumoto
安本亀八初代[文政九年(1826)―明治三十三年(1900)]
作銘「安本光政」(慶応の頃まで)、「安本素川」(慶応以後)、「安本亀翁」(晩年)。
熊本市迎町の仏師の家に生まれた。文政九年(1826)松本喜三郎よりひとつ年下で、熊本の井手の口の隣町迎町の仏師の家に誕生した。喜三郎が大阪へ移転するまで、祭りの「つくりもん」発表の場でのライバルとして技を競い合った。喜三郎の後を追うように安政年間(1854―1860)の頃に大阪、大和河内当五畿内に渡り、神社仏閣の彫刻などを行う。万延(1860)から元治(1865)まで名張に滞在、注文による肖像彫刻を多く制作、名張藤堂家には能面を納めるなど重宝された。明治初年から本格的な生人形興行に乗り出し、明治三年(1870)大阪難波新地南にて「東海道五十三次道中生人形」の大入満員の大好評を経て、明治八年(1875)、浅草へ本拠地を移し浅草生人形見世物の一人者となり、明治十年(1877)の西南戦争を話題にした「一世一代鹿児島戦争実説」などを発表しその地位を確固たるものにした。そして菊人形なども手がけ、「人形ハ、ヤスモトカメハチ」と謳われるようになる。晩年も大和、橿原で寿像を制作した。
安本亀八二代[安政四年(1857)―明治三二年(1899)]
亀八初代の長男であり、明治五年(1872)大阪難波の生人形興行「七福神生人形」で二代目としてデビューした(十五歳)。主に初代亀八の興行を共同制作した。俳優の似姿人形、世界各国の万博に出品された風俗人形、デパートのマネキンの制作に尽力したようだが、年若くして逝去したため、現在のところ現存作品が確認できない。
安本亀八三代[明治元年(一八六八)―昭和二一年(一九四六)]
初代亀八の三男であり、明治二六年(1893)浅草の生人形興行「西南戦争実説」で三代目としてデビュー(二五歳)。初代亀八の興行を兄と共同制作した。明治三二、三三年(1899―1900)と相次いで兄、父を喪ったため、三代目亀八を襲名した(三二歳)。大正の頃、世田谷三軒茶屋に大工房を構え、各国の万国博覧会に出品された等身大の風俗人形や、上流階級の贈呈品用人形、デパートのマネキン人形を多く制作する。戦時中の晩年は長野市に疎開し、長野にて逝去。
生人形と松本喜三郎
南嶌宏「反近代の逆襲-生人形の生と死」/島田真祐「活人形挽歌」/土居郁雄「大木透と名匠松本喜三郎伝」/木下直之「生人形の見世物と展覧会について」/冨澤治子「日本の生人形総論」/澤井浩一「生人形と見世物興行-大阪と『西国三十三所観音霊験記』を中心に-」/坂本経昌「江島栄次郎の生人形」/高浜州賀子「来迎院聖観音菩薩像修復について」/南嶌宏「スミソニアンの生人形」/本田代志子「生人形とミュージアム-ヨーロッパの生人形」/キャサリン・E・マギー「生人形の科学的分析」/ツネナリタカコ「歴史漫画-松本喜三郎一代記」
生人形と江戸の欲望 −反近代の逆襲II
甦る相撲人形−初代安本亀八《野見宿禰と当麻蹶速》/相撲のコスモロジー/江戸の内宇宙−浮世絵の曼荼羅世界/スティルベルト博物館の武士像/ライデン国立民族学博物館の生人形/日田の山鉾と生人形/桐生祇園祭/喜三郎の木馬/藤浪小道具−現代歌舞伎と生人形/南嶌宏「生人形と江戸の欲望」/本田代志子「欧米の生人形コレクション」/兵頭喜貴「模造人体という写真」/冨澤治子「生人形の構造」
AG Vol.1
講演会・パネルディスカッション「松本喜三郎と生人形をめぐって」
名匠 松本喜三郎
著:大木透(復刻版)
AG Vol.4
生人形展記念トーク リュディア・イッケ=シュヴァルベ&アンドレアス・リューダーヴァルト「ヨーロッパにおけるアジア像−生人形を手がかりとして」/生人形連続セミナー@南嶌宏「反近代の逆襲」/A冨澤治子「日本の生人形」/B土居郁雄「松本喜三郎伝」/C本田代志子「ヨーロッパの生人形」/D木下直之「見世物文化と生人形」/E小林淳一「生人形にみる文化交流」
生人形と松本喜三郎
講演会・パネルディスカッション「松本喜三郎と生人形をめぐって」(プレイベント)
生人形と江戸の欲望
相撲生人形 1890年 桐材ほか
